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■ライブ・イベント出演
◇2001年
◇2000年
◇Luluの参加

■ひとことメッセージ


ファンクラブイベントFACE to FAITH

名古屋 エレクトリックレディランド
  
開場14:30 開演15:00
  
実際に開場したのは14:45頃でした。
ハガキと会員証チェックして、カメラチェックして、中に入るとドリンクチケットを渡されました。
もう一つ中にはいると係のお姉さんが手をだしてきます。
「?」とおもいドリンクチケットを渡すと、「握手♪」とおっしゃったので、あ、Faithの関係者なんだ。
今日はみんなで盛り上げましょ。ってことかな?
と思い、握手したところで、ん?え?もしかして?
「はっ!!有美さん!?」
にっこり笑顔で私の手をキュっとにぎって下さいました。
「最後まで楽しんでいって下さいね。」
 
会場はライブハウスで、8列目に座れました。
しかも私の前で階段になっていたため、見やすかったです。
 
客電が落ち、有美さんがくらい中でキーボードのとこに座り、生まれかわる気持ち、PROMISEを弾き語る。
PROMISEは神戸国際会館のこけら落としのイベントで紹介された曲ですが、これが、今日の日の為に作られたんじゃないかと思うほど、ぴったりくるんです。
 
「ひとつだけ ただひとつだけ つたえたくて ここにきました。」
「黄緑のスーツを着て『パンツは紫だけど』」
「このよく晴れた『今回のツアーで初めて晴れたのよ』日曜の午後」
「あれから辛いこと たくさんあったけど 大切なのはまたあいたいと 思うこと」
「この素晴らしい再会に おめでとう」
泣いちゃいました。
 
それから怒濤のトーク。1時間。

こんにちは、谷村有美です。
今日はファンクラブツアー2000においで下さいまして、ありがとうございます。
このネーミング、申し合わせたわけじゃなくて、私が勝手に呼んでるだけなんですね。
FCツアー2000ということは!?2001もある!?かもしれない。いーね−君、いまのつっこみ。
イイ感じよ。
今日はピチピチですね!何が?あ、ズボンじゃないのよ?会場ね。
ごめんなさいね、お立ちの方。
言っときますが、今日は長丁場です。
お立ちの方は、重心をね、右足、左足、と交互にしながら、疲れにくいようにして下さいね。
そして、座ってるからといって、気を抜いてちゃダメです。座ってる方も腰にきます。
時々のばしたりして下さいね。
みなさん、入って来てびっくりされたでしょ?知らない人にいきなり手をつかまれて。
人間の驚くのって、あんな感じよねェ。ドラマとかって、うそうそ。
腕に覚えのある方なんかによくパーンチとかされなかっな、と思います。
東京とかね、雨だったでしょ?傘渡されちゃったり、「私は傘立てか!?」て感じなんですが。
鞄開けて中見せて下さったりね。
でもこれがはまるんですよ。気付いたあと、みんなの顔がね、変わっていくの。
も−次、2003とかあったら、凄いかも知れないですよ。
みんなのお家まで行って、ピンポーン「もうそろそろ時間じゃないの?」とかね。
東海地区、大変だったんですよね。家が流れちゃった方とかいます?あ、いない?よかったー。
え?君どうしたの?床上浸水!床上浸水!?みなさん、あのミドリのポロシャツの方に募金を!

■休業にいたるまで。■
えーと、何から話そうかな。最初から!
最初からかぁ、えーとデビューはぁ、、。
会場爆笑。
あ、違うって?そうそう、休業にいたるまでね。
 
ことの始まりは1994年の2月でした。その時「しあわせのかたちLIVE LIVE LIVE」あ、違うか、「LIVE LIVE LIVEしあわせのかたち」っていうツアーの、ファイナルだったんですが、武道館で2日、大阪城ホールで1日あったのね、その武道館での一日目のリハで、声がでなくなったの。
ま、そんな慌てずに病院にいって。「谷村有美でよかった」って写真集の表紙になってる、口開けてる写真がその時のものなんだけど、あれ、世間では歯医者ってなってるみたいですが、違います。歯医者だよ!
おまえは谷村有美か!?杉浦先生っていうおじいちゃんの先生にスペシャルお注射打ってもらって、声は出るようになって、「なんだったのあれは?」って感じだったのですが、次の日の朝に事務所にいって、上の人にあったのね。「ん?昨日どうした?」「あ、もうばっちりです。」「どうした?」「あの、実はしばらくお休みをいただきたいんですけど。」「おお、いいぞ。休め。」 そう言われて、かなり楽になったのね。「大阪は歌うんだよな。」「歌わないと言ったら、どうなります?」「大変なことになる。」「いや、歌わせていただきます。」それで大阪のファイナルの時なんか、「休業します。」って、宣言しそうな勢いだったのね。
  
でも、そこで幸か不幸か、イギリスから、お話があったのね。ポールオドフィーって、スウィングアウトシスターのプロデューサーなんだけど、デビュー前から大好きだったグループだったのね。
でも、一緒に仕事がしたいという気持ちと、最高のコンディションの時にやりたいと言う気持ちがあってね、正直、迷いました。
でも「機会を与えられた時が、やる時なんだ。」と思って、やることにしたんです。
そして1年半もの時間がたったんです。
 
皆様には9月30日につくようにお手紙を送らせていただきました。ね、なんかやたらちゃんとした封筒の!
寿マークのシールでもはってそうな勢いの!あら?結婚式の招待状かしら?それとも通販?なんて、思った方もいられるでしょう。中には2枚ほど手紙が入ってて、「かくかくしかじかで休業します。」
がーん。「でもFaithは存続します。」どっちやねーん!てね。しかもその9月の終わり、ファンクラブツアーで、ハワイ行ってるんですよね。あれも迷ったんですよ。この状態で、元気な顔見せられないって。
こんなままで行ったら、「お前は谷村有美じゃないっ!にせものだぁ!」てばれそうで。そしたら、関係者の人たちがね、「有美ちゃん、行こうよ、ハワイ。行こう。」っていってくださって、私は凄く嬉しかったんです。「辛そうな顔も見せてこればいいじゃん。」って。「あ、そっかー。」と思って。
でも、楽しかったんですよ、とっても。「有美ちゃーん」ときわれてあ、にせものって、ばれてないじゃん。
初めて会うのに、わかるの?って感じで。あの手紙はハワイで書いたものなのですが、ハワイで、何度も「休業します」って、言いそうになった。でも、Faithの方で、ここにこられていない方もいるのに、ハワイに来られている方だけにお知らせすると言うのは、来ていない方にも来ている方にも悪いな、と思い、ぐっと我慢しました。だからね、ハワイに来た方は「なんだよ−元気そうだったじゃんかよ−」とか、思われたかも知れません。ごめんなさいね。郵便事情で前後したかも知れないですけど、9/30に着くつもりで送りました。
 
というのも、大阪で担当させていただいていたラジオの「music gumbo wednesday」という番組が、9/30で最終回だったんですよ。前々から思うように行かなくなっていて、「卒業したい」っていってたんですが、「そしたら10月から番組編成変わるから、9月いっぱいってコトで。」ってなってね。それで、事務所の方に言ったら「ぜんぶしゃべってこい!」といわれ、「え?いいんですか?」しゃべってくるぞーってコトになって、802(はちまるに:ミュージックガンボのラジオ局)へ行って番組の進行表ってあるんですよ。それ見たら始めに曲かけて、CMいって、その次のところに「谷村有美からの重大発表」ってあるじゃないですか。
私はね、最後にTonightとか流れてて、(「逢いたくて」でした。そのころは。Tonightは別の番組。)「さよなら。」とか言う時に「ところで明日から休業しま−す。いつ復活するか分かりませーん。じゃねー。」って終わろうと思ってたんですよ。
でもそんなこといったら、「でもね、有美ちゃん。リスナーの気持ちも考えてよ。ファンの人は番組が終わるだけでも淋しいのに、終わるって時に『やすみまーす』と聞き、そのまま12時の時報を聞く身にもなってごらん。さっさと済ませてあとの時間は楽しく過ごそう。」て。
もっともだなぁ。とおもって、20分ぐらいのところで発表したわけです。(ホントは50分です。)
 
でもね、ワタシ思ったんだけど、気持ちって、バケツリレーみたいなものなんだ。
ひとりで持ってると、凄く重いの。でも、発表することで、気持ちのバケツを渡してしまったんだな。
私ね、実は発表してしまったあと、気持ちが楽になったの。あの発表で私の休業の9.9%は終わったんだ。
もともと疲れてたのはみんなに見せてる自分とホントの自分に差があって、嘘はつきたくないけど辛いと言うのも嫌でって感じだったんだけど、放送することで、その2つの自分が一緒になったのね。
そしたら身の回りにまとわりついてた、ストレスとか疲労感とかが、ふっと消えたの。
でもね、言い終わって、すっきりしたーと思って、回りをみたら、みんなが、バケツもって重そうにしてるのね。
「あらぁ、まぁ、こりゃぁ、大変なことをしてしまったなぁ。」と思って、これは、バケツを、回収にうかがわねば。でもまた重たいから、その重たいバケツを持っても平気でいられるくらい元気になって帰ってこなくては、と、思ったわけです。

■休業中の話■
休業してね、まず思ったことは、音楽以外のコトでご飯を食べられるようになろう。ってことです。
休業中の身分はね、「家事手伝い(花嫁修行中)」って感じで。べつに「フリーター」とかでもいいんですが。
いきなり働きはじめるのもなんだし、働くんだったら、履歴書に書ける資格は多い方がいいと思って、免許ね。都内の教習所に電話書けてみたんですが、4〜6ヶ月かかると言われ、「速成コースならもっと早くできますけど」というんで、「お金ならだします!」っていってね、5万円高くなるって言われたのよ。
5万ならだしちゃるーって思って。それでも「ミッションで女性でしょ?最低でも4ヶ月、、。」とかいわれ、「なにぃ?そんな、4ヶ月も続くわけないじゃん!」って。あきっぽいからさ、わたし。それで、選んだのが、合宿。八重山自動車教習所。石垣島ですわ。そこいったらさ、入学者一名「谷村有美」って。ひとりだけなのよ。
そこでは17歳の女子高生から、免許とってもすぐシルバーマークって感じのおじいさんまで友達になりました。
ポケベルの打ち方ならったりねー。教官でプリンス入ってル人がいて、教壇で授業とか教えつつもターンとかしちゃいそうないきおいで、「プリンス」って呼んでたんだけど、初めての実車の日がプリンスでね、ワタシ実車初めてなのに、いきなり運転席にのせられて、はい、谷村さんね、大丈夫でしょバックでだして−って。
普通ね、初めての時は教官がだしてくれてから運転するのよ。もう頭の中パンパンでね。どうしよーって時に「ぼくはねぇ、4曲めがいいと思うんですよ。」ふと見れば手にはPRISMのアルバムが。
いや、悪い気しなかったですけどね。
 
せっかく石垣島に来たんだから、石垣島についてはスペシャリストになろうと思いまして、いろんなとこいきました。
与那国島でしょ、沖の入り江島でしょ、あとなんだっけかな。その○○島に、海底遺跡があってね、2回いきました。
卒検の前日にも◇◇島に行ったんですけど、、島で、迷っちゃったんですよ。自転車を借りて島を回ってたんですが、同じとこぐるぐるして、港へ行けないんですよ。「これは、はいっちゃったかなぁ、、」と思って、涙目で自転車こいでたんですが。「お地蔵さんを右に見たからここを左!」と思っていっても、いつのまにかそのお地蔵さんとこに戻ってるんですよ。で、なんとか港に着いたら、船が目の前を、「ポッポッポッポ、、」って。
あ!あれはもしや私がのってきた船?一日2本しか船がないんでね、それに乗り遅れたら、終わりなわけです。
「おーい!おいてかないで!そつけーーん!」って、手を振ったら、船がね、急ブレーキかけて、止まろうとしてくれたんです。でも、船ってね、急に止まろうとしたからか、黒煙がモクモク上がってね、「しまった、私のせいで爆発する!」と思って、身を引いてたんですが、とまれなかったみたいで、「勝手に帰ってきて−」って言って、行っちゃったんですよ。「そつけーん!」あのね、沖縄県って、月に1回しか卒検がないんですよ。だから、翌日の卒検を逃したら、あと1ヶ月石垣島にいなきゃならなくなるんですよ。
それもいいかなって思ったんですけど、一ヶ月もたったら、忘れちゃう。どうしよう。って、ボー然とたってたら、島のおじいさんがやってきてね、「どしたぁ?」「船に乗り遅れたんです−。」「あー?2、3日うち、泊まってくか?」そのひと、民宿のおやじだったんですよ。「でも今日帰らなきゃ、明日自練の、あ、むこうではね、自動車練習所だから、自練っていうの。自練の卒検なんですー。」って言ったら、「ちょっとまてやー」っていって、船をだして下さったんですよ。
おかげさまで無事卒検を受けれたんですが、こっち帰ってきて、免許とったのは2ヶ月後。
インフルエンザかかっちゃってね。
  
お休み中、実は3回も過労で倒れました。お仕事やってると、凄く気を使うじゃない。冬のツアー中なんか、誰かが風邪引いてるわけですよ。
でも、風邪引くわけには行かないから、ちょっとでものどが変だったらうがいとかして、実は、私、風邪って、ほとんど引かないんですよ。
でも、お休み中って、どれだけ寝込んでも、誰にも迷惑かけないじゃないですか。
ちょっとくらい熱っぽくても、気付かないのね、それで、病院に行かなきゃって頃になったら、「なんでこんなになるまでほっといたんですか?3日前くらいに症状でてるでしょう?」とか言われて、「あ、そーいえばお風呂のお湯がぬるかったなぁ。」って思うの。
それで、カルテには、「過労によるインフルエンザ」ってかかれちゃうのね。「何のために休んでるんだ!」って、言われちゃいました。

■音楽以外の仕事をしてみて■
音楽以外のコトもいろいろ考えたんですよ。例えば、陶芸ね。30年くらいしたらモノになるかなぁって感じで。
石垣島に窯元があったんですよ。そこの焼き物に惚れちゃってね、「弟子にして下さい!」って言いに行ったら、「弟子はとらねぇ。」ていわれちゃったんですが。そのうち、Faithの会報なんかにのるかもしれないですよ。
通信販売・お茶碗セットとかね。
  
実はね、お休み中だと言いながら私、2年で7回もライブやってるんですよ。
神戸国際会館のこけら落としでしょ、それからパシフィックヘブン、キーボーディストとしてもライブにでました。
ほら谷村有美はさ、所属が決まってるからコーラスとかできないんだけど、「かにむらうに」ならってことで。
もともとわたしはキーボーディストになりたかったんですけど、「その程度じゃ食えん」といわれたんですよ。
楽しっかったです。
いろいろしてみて思ったんですが、何をやっていても、どこかで音楽と結び付けている自分がいるんですよ。
それで、やっぱり、音楽がいちばん自然なんだなって、気付いたわけです。
  
神戸国際会館のこけら落としライブなんですが、1995年の1月17日、阪神大震災があったでしょ?
次の週に大阪の厚生年金大ホールで私のツアーの追加公演があったんですけど、こんな状態だから、できないと思ってたんですね。こんな時に歌なんか歌ってる場合じゃないだろうって。でも、ライブをしましょうと声を掛けていただいて、いつまでも暗い話題ばかりでなく、と言われまして、ライブをすることにしたんですが、何かしなきゃ、って思って、箱をね、募金箱を作ってもって行ったんです。その頃のツアーは、始めからジャーンってにぎやかに始まるものだったんですけど、それもやめて、普通のライトの中、歩いていって、「小銭でイイです」と「ジュースやたばこひと箱分でいいですから、お願いします。」といったんですね。
その公演は即日完売で、全部の席が埋まるはずなのに、半分くらいしか埋まってなくて、だんだん遅れて来た人で席が埋まっていくのね。コンサートが終わって、箱をスタッフのみんなで開けてみたんですが、チラシとか、チケットの半券なんかにね、「実は家が全壊しちゃったんです。」とか、「交通手段がないので、4時間歩いてきました。」とか、「家族が怪我をしてるので来ている場合じゃないのですが、どうしても歌が聞きたくてきました。」とか、書いてあるのね。
それで、凄い量の募金だったんだけど、神戸国際会館のかたに、お渡ししたのね。神戸国際会館は全壊してて、その中で、1台だけピアノが調律師の方の機転で助かってたんですが、そのために使って下さいって言ってね。
そのピアノは、私が勝手に「よっちゃん」って名付けてるんですが、大阪城ホールのコンサートの時などにもお借りしたりしました。
休業中に一つ心残りだったのは、その神戸国際会館の方が、「こけら落としにぜひ谷村さん歌って下さいね。」
といってたんですが、休業しちゃって、そんな晴れやかな場所にでられないじゃない?
それがず−ッと心残りだったの。そしたらある日電話がかかってきて、「谷村さんが歌ってくれなきゃこけらが落ちない」って言われて、打ち合わせとかのために事務所へ行ったんですが、行くまでの間、嬉しくて涙がにじんでました。
 
それで、「ひとりでいくの?」といわれ、そっかーどうしようと思ったんです。青柳さんも考えた。カズも考えた。
でもJOE SAMPLEですよ。JOEとはね、一度あったことがあって、その国際会館のピアノのコトを話したことがあったんですよ。それで、夢の実現となりました。小さい時からの憧れの人だったんですよ。
谷村有美の作ったフレーズがjoeが弾くとjoeになるんですよ。
ちょこっと「そこは違うのよ」なーんて、言ってみたりして。会場前にかかっていた曲もjoeの所属していたグループのものなんですよ。

■復帰するコト■
パシフィックヘブンと言うのがありまして、去年、ゲストで参加させていただいたんですが、もう、あれね、KANちゃんにだまされて。(笑)面白いんだけどーって。ホントやってみると面白くって、去年の秋頃ね、復帰したくて仕方なかったの。で、事務所に、「復帰します。谷村有美大丈夫です。」っていったんだけどね、後藤さんって方が、「あのな、休業するっていうのは、誰にでもできることじゃないんだ。休業するということでジョーカーという切り札ををきったんだぞ。こんど始めたら、次止まる時は、死ぬ時だぁ!!」って。
「そっかぁ。もっともだ。」って思ってね。お休みをもっと楽しもうと。それで今年はレギュラーとしてパシフィックヘブンバンドに参加したんですが、プロモーションがね、あまりできてなくて、みんな忙しいから「そしたら谷村有美、プロモーションしてきます!」っていって、fm802という大阪のラジオ局ミュージックガンボを担当させていただいてたところね、に行って、宣伝してきたんです。そしたら、「有美ちゃん、ライブは分かったから、新曲はいつでるの?」っていわれて、「いつふっき?」って。「そーーですねぇ、来年まで待てない感じですかねェ。」っていったら、次の日「谷村有美、年内復帰宣言」って。
また次の日ラジオで「年内っていっても秋と冬があるけど?」といわれ、「そうですねー冬は寒いですしねー。」とかいったら、「谷村有美、秋復帰宣言」ってなっちゃったわけです。それで帰ってきて、事務所いって、「言っちゃいました−。」ていって、10月にとりあえず復帰するようなことが決まったんですが、その前に、どうしてもFaithのみんなに直接会って説明したかった。
それで大慌てで企画して、今日、この場があるわけですが、またね、Faithから、今度はちょっとカジュアルな封筒が届いて、「まーた通販かよ−。」と思った人も多かったでしょう。
でもこうして皆さんにお会いして、ちゃんとお話することができてよかったと思います。
 
■新曲のこと■
さて、今日は新曲を持ってまいりました。(パチパチパチ)
私が休業してた2年の間にさ、マキシシングルって、当たり前になってるのね。
今回のシングルだすにあたって、会議みたいなのがあってね、その時、言ったのよ。
「今回のシングルで、谷村有美は是非ともやりたいことがあります。」「何?」(にぎりこぶしをつくって、)
「マキシシングルにしたいんです!!」「あそ、やれば?」がくっ。
「お願いだから、それをウリにしないでね。恥ずかしいから。」とまで言われました。
でも、いいの。マ・キ・シシングルだからね!マ・キ・シ!!
今回箱もついてます。箱っていってのぱかっとした化粧箱みたいなのじゃないのよ?
普通のマキシの入ってるやつね。
 
えーとその新曲なんですが、皆さんにもコーラスで参加してもらいたいと思いまーす。
名付けて、みんなでA・RA・WAを歌いたーい。
あ、「たい」って言うのはこざとへんの「隊」ね。シブガキ隊の隊。え?やだ。私が言ったんじゃないよ!
シブガキ隊って言ったのはこのいちばん前の彼ね。私じゃないってば。
 
歌うっていってもまだ発売2週間前なんで、誰も知りませんね。
コレから練習をします。
 
えーと、二つに分かれたいと思います。一つが、「パパラパ隊」女性の方とか、ちょっと高音には自信があるのよっていう男性なんかね。
「パーリヤパッパー、パパーリヤ−。パーリヤパッパ、パパーリヤパッパー。」
この最後のパー、が渋いでしょ?
はいっ「パーリヤパッパー、パパーリヤ−。パーリヤパッパ、パパーリヤパッパー。」
いやーん、ひとりにしないでよ。もう一回!
「パーリヤパッパー、パパーリヤ−。パーリヤパッパ、パパーリヤパッパー。」
 
次が「ウォウウォウ隊」ね。これは地をはうような低い声で、
「ウォ−ーウォウォウォウォ−ウォウォ−、ウォ−ーウォウォウォウォー」
さんはいっ
「ウォ−ーウォウォウォウォ−ウォウォ−、ウォ−ーウォウォウォウォー」
うん、イイ感じね。
 
じゃ、いくよ。今日はスペシャルカラオケで!谷村有美、A・RA・WA!!
 
♪手を洗う 癖がついた 一日なんど手を洗うだろう。
〜〜

A・RA・WA女性(おんな)は 素顔にされたあと抱かれ方で 変わっていく
     イイコにしてるつもりじゃなくて 愛されたいだけ
A・RA・WA私(おんな)は 裸にされるたび 何もかもをさらけだすの
    モラルも消える程のくちづけ また今日も全てが 露(あらわ)になる
 「パーリヤパッパー、パパーリヤ−。パーリヤパッパ、パパーリヤパッパー。」
 「ウォ−ーウォウォウォウォ−ウォウォ−、ウォ−ーウォウォウォウォー」  

■OFF-KOさん登場■
さぁ、ファンクラブイベントといえば、欠かせないこの方を御紹介しましょう!
OFF-子3号さんです!
「こんにちは」あ、頭に羽をつけてますね。「ええ、おそろい。」
今日はパンツで、「はい、あわせてみました。」
じゃぁ、座りましょうか。
「えーと、私がここにでてきたのは、わけは、皆様にお送りしたアンケートなんですね。コレを持ってまいりました。」
〜アンケートを読み上げる。〜
多分、全部が女性のもの。Luluのものもよまれました。
  

お休みしてね、ばかだなぁ、と思ったのが、どうして「ひとりだ。孤独だ」なんて思ったんだろうってコト。
もう、音楽やめたいなんて、ばかなこと考えたりしません。
一生歌い続けていくつもりです。これからもお願いします。
 
目尻に涙をためながら、そういって微笑んだ。
 
そして。
 
好きこそものの上手なれ
FEEL ME
 
もちろんみんなジャンプ!
 
普通のコンサートならここで終わっちゃうんですが、今日はファンクラブイベントです。
みんなで写真をとります。
(この時はカメラマンの方が、ずっと、イベントの模様を撮影していました。)
 
そして。撮影後。あいさつをして、拍手のあと、口に手を当て、「しーっ。」 
マイクを持たずに
「みんな。今日は、ほんとうにありがとうございました!」
 
おつかれさま、有美さん。
素敵な時間をありがとう。